2014年総括

Twitterを見ていると有識者の数々が今年の年間ベストアルバム/トラックとかベスト映画を発表していてふむふむなるほど、とはなるのだが、さて今年の自分がそんなものを作れるぐらい色んなものを見たり聴いたりしたかと問われると全くそうでもなくて、しかし自意識遊びはしたいという…。という訳で、ランキング形式ではないものの、今年触れたものへの所感を各分野ごとにざっくりと。

 

・音楽

-クラシック音楽

今年はとにかく30年代生まれ付近の名匠達が次々と鬼籍に入った1年で、良くも悪くもクラシック音楽の歴史が流動的なものであることを痛感させられた。このことについては過去エントリで詳しく書いたのでここではあまり触れないが、そもそもクラシック音楽を聴く、という行為が懐古的で後ろめたい倒錯的な楽しみであって、つまりは今のクラシック音楽を聴いている我々リスナー自身もクラシック音楽の歴史となることを引き受けることに違いないのである。来年はどのプレイヤーが…というのは悪趣味だが、それもまたこのジャンルの持つ宿命ということだろう。印象に残ったディスクとしては、ポーランドショパン協会がブリュッヘン追悼としてリリースしたクルピンスキの「モジャイスキの戦い」とベートーヴェン交響曲第3番をカップリングしたものがある(NIFC)。まあベートーヴェンの3番は2005年の録音とのことで自分が聴いた演奏とは10年弱のラグがある訳だが、ここで聴けるブリュッヘンベートーヴェンは極めて運動性に優れ、全盛期のPHILIPSにおける溌剌としたオリジナル楽器の響きに満ちている。ただやはり生で聴いた死臭漂う異形のベートーヴェンを思うと、この10年の間にブリュッヘンに何があったのだろう…と考えざるを得ない。また、カンブルラン/読響によるディスクも2枚リリースされた(Altus)。完成度は勿論高いし、ハルサイはSWR響と入れた盤(Hänssler)よりも格段にライヴの「ノリ」に満ちていてよりホールにおけるカンブルランの様を伝えてはいる。しかし、わざわざここで「カンブルラン/読響」のハルサイをリリースする意味がよく分からないというか、必然性がない気がする。同曲異演が多いこのジャンルだからこそだが、カンブルランが読響とやった仕事のうちでも意義深いものというのは限られていたはずで、細川のヒロシマ・レクイエムやマーラーの6番など読響という極東のオーケストラでやる意味があった公演は他にも存在すると思う。まあそれを聴いているのは他ならぬ我々ではあるのだが。

-その他

クラシック音楽以外では岡村靖幸やブラックミュージックなどをよく聴いた。岡村ちゃんに関しては何を今更という感じだが、スーツを着こなしパワフルに歌い踊る彼はポップミュージックが皮相になることなくまだこの国のチャートを変革出来るんだ、ということを軽やかに告発していた。11月にリリースされた「彼氏になって優しくなって」は勿論のこと、小出祐介との「愛はおしゃれじゃない」(c/wの「ラブビデオ」も最高!)は2014年のサウンドトラックとして記憶されるに相応しい楽曲群だろう。ブラックミュージックは完全にTwitterで関わった方々から受けた影響だが、特にデトロイトテクノ、ディープハウス関連の音楽は下半期よく聴いた。こんなことを改まって言うのは恥ずかしいがSoundCloudとは恐ろしいメディアで、Moodymannの「Collection」がフルで聴けたりするのは何と言うか中古屋のディグがいささか古めいた、フェティッシュな愉悦と言われても仕方無いような便利さを感じる一方、やや寂しい。とはいえ思いっきりその恩恵に与っているのは他でもない自分のような金がなくてジャンルに対する知見も浅いような人間であって、こういうメディアを利用しない手はない。基本的に重いキックの四つ打ちとクラシカルなファンク/R&Bのサンプリングが鳴ってれば今の所は満足してしまうような状態なのであまり偉いことは言えないが、Vince Watsonのデトロイトテクノ詰め合わせ(3時間!)とシカゴハウスの仙人DJ、Sadar BaharのプレイはSCでよく聴いたものです。以下リンク。


Vince Watson - Detroit Classics Part 3 by vincewatson - Hear the world’s sounds

全部聴いたがパート3が一番しっくり来た。Kenny Larkinの熱を帯びて行くBPM高めのトラックでカロリーを上げてRhythim is RhythimCarl Craigと怒濤のデトロイトラシックスに雪崩れ込む冒頭の構成はいつ聴いても恍惚。ちなみに入っている曲はここで見れる。http://www.percussionlab.com/sets/vince_watson/detroit_classics_vol_3


Warm Up For Sadar Bahar @ Funkloch 18.mai 2013 by Cuttlefish & Asparagus - Hear the world’s sounds

Sadar BaharのFunklochにおけるDJプレイ一部始終。エフェクトやキックの抜き方はいささか時代を感じないでもないが、スピンのセンスの良さと終始BPM96〜132で下半身から踊らせに来る黒いグルーヴの運びは横綱相撲感がある。30分付近でゴリゴリのキックに乗ったファンクのサンプリングが突然中断されて濃密なアナログシンセ(?)がメロウに響くところなんかはまさにエクスタシー。

あとこの辺の音楽で凄いのはフリーダウンロード出来るイイ曲の多さ。今年出た新譜だけでもCakes da Killa、All about She、Run the Jewels…まあなんというか、良い時代になったものです。Moodymannもフリーダウンロード出来るアルバム(「Picture This」)があるので聴いてみたけどこれはそんなグッと来なかった。ケチってないで今年出た「Moodymann」を早く聴かなければ…。

 

・映画

上半期は比較的頑張って劇場に通ったりレンタルしたりしていたものの、完全に9月10月で失速、今月に至っては2本しか観ていない…。映画は個人的には儀式めいた環境で鑑賞するものというか音楽のように持ち運べるものではないと思っているので、とかいう言い訳。今月シネマヴェーラで観た曽根中生の「天使のはらわた 赤い教室」「赤い暴行」はシビれた。前者は「覗き見」を全編に通底するモチーフとして反復し、ついに最後の小屋における見せ物セックスシーンで冒頭のブルーフィルムへと欲望の視線が回帰していく様はまさに映画的。後者は二回目の鑑賞となったが、どうということないはずのデビルズの演奏が男たちの運命の集合体として響くラストの「SILENCE」はいつ観ても感動してしまう。ただ、これは気のせいかもしれないが去年の秋にオーディトリウム渋谷で観たときの方が音がデカかった気がしたんだけどもこれは劇場の作りによるものだろうか。あとは夏のイメージフォーラムにおけるベロッキオ特集で観た「エンリコ四世」は強烈だった。「ポケットの中の握り拳」を目当てに行ったのだけどこちらのピアソラの音楽とそのメタ性により感動してしまった。マストロヤンニが根本的に喜劇的な役者であることを思い知らされたし、こういったパラレルな映画を撮れる監督が21世紀において「眠れる美女」という極上の死を巡るメロドラマを作り果せたことに深い感慨を覚える。あとは今年は新作を全くと言っていいほど観なかったので、来年はもう少し今の映画シーンにも敏感になりたい。

 

・アイドル

あんまりアイドルで評論めいたことは言いたくないのだがまあ年の瀬だし…。下半期は特にアイドルを観た気がする。特に東京パフォーマンスドールは4回ほどリリイベにも足を運んで(川口と豊洲が遠かった)、Zepp DiverCityのワンマンも観た。そのパフォーマンスの純化された完成度と握手の楽しさは何度行っても癒されるし元気が出るし、何よりその今となっては歌と踊り以外のところでウケを狙おうとするアイドルシーンにおいて古めかしくさえある身体性(言いたくなかった言葉)の美しさを追い求める姿勢が何より感動的だ。ただ、ある程度回数を観て思ったのは、彼女らの脱人称化されたコンセプトは物語が好きじゃない自分にとってはしっくり来るのだが、難を言うとすれば楽曲にあまりひねりがなく良く言えば聴きやすく、悪く言えばどれも同じように聴こえてしまうということと、現場にいるオタクが年齢の割には騒ぎたがりみたいなのが多くて見苦しく居心地がよくないのが何となくの感想。あとは彼女らのレギュラー番組「東京号泣教室」(TOKYO MX)を観ているとみんな良い子なんだけどあんまり彼女ら自身が面白くないかもしれないという…。まあ「NOGIBINGO!」みたいにアイドルを雑に扱って無理矢理面白くしてスベったときみたいな悲惨さはないのでその辺は良いのかも知れませんが。年末、これまで48Gを観まくってハイティーンに疲弊した結果、prediaにハマっているのは自分でもここに来たか…という気分になってしまうが、Youtubeに上がっている「接近predia」とかAKIBAカルチャーズ劇場での定期公演を観ると蓮っ葉な彼女らのキャラクターと荒削りながらバイタリティ溢れるパフォーマンスのギャップは今までに無い求心力を感じたし、2015年はここで決めるぞと久しぶりに思えたアイドルだった。何か一つの物語に向かって頑張るぞ、という陳腐なストーリーが雨後の筍のごとく乱立する中で(乱立することによって陳腐になっているとも言えるかもしれない)彼女らの力の抜けた、しかし誠実なあり方は一つの位相として説得力を持っていると言えるだろう。曲も低域が充実したダンスミュージックで聴いていて単純に楽しい。あとは下半期一番通ったアイドルというのが実はありまして、メンバーの卒業委員とかもやったりしたんだけども…。あえてこのアイドルの名前は出さないしこの文章を読んだ知り合いのオタクにあんまり頭でっかちなことを書くとバカにされる気がするので本当に上澄みだけ触れるが、はっきり言ってあんなに露悪的なアイドルのプロデュースのあり方はただ騒ぐために行くならまだしもまともに付き合ってはとてもいられないと思ってしまう。アイドル達本人が悪いのではなく、アイドルをコマにして後ろの大人たちが四の五のやっている様は本当に気分が悪いし(既存のアイドルのシステムの猿真似をして悦に入ってるのがグロテスクとしか言いようがない)、だからこそ好き放題やってないととても見られたものではない。あの場所に真実味を見出す人が居たとしてもそれは責められるべきではないしアイドルの価値がオタクに完全に依存するというのは分かるのだが…。知り合いと騒ぐため以外では殆どあのアイドルに価値を見出すことなく半年間通い続けたが、2015年はもっと現場に対する感覚を大切にしたいと思うきっかけになったという意味では意義深かった、のかなあ…。どうせこんなことを言いつつ行くことは行くのだろうけど、思考停止するんじゃなくてもう少しお金とか時間とかを大切にしながら行くようにはしたい。

 

2015年もよろしくお願いします。