ブーレーズベスト10

フランス音楽界の大巨匠にして現代音楽最後の巨星、ピエール・ブーレーズが亡くなった。

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享年90歳、バーデン=バーデンでの大往生。ブリュッヘンが亡くなったときもブログを書いた気がするが、ブーレーズが亡くなったというのはシュトックハウゼン、ノーノ、クセナキス、ケージ、まあなんでもいいのだが要するに「現代音楽」や「前衛音楽」の超超超超超一流だった最後の人が亡くなったということで、それはつまりそれらの音楽の一時代が終わってしまったということで…。指揮者としても作曲家としても好き嫌いを超えたところに位置していたし、また生で聴きたかった指揮者が一人、その実演に立ち会う前に亡くなってしまった。RIPとかいうのは死んでも言いたくないが、ベスト3では心もとないので、ブーレーズ指揮の録音ベスト10を挙げて偲びとしたい。

 

1.ブーレーズによる現代音楽選集(クセナキス/グリゼイ/ファーニホウ/バートウィッスル/クルタークその他)…アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ERATO

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師であるメシアンと決別し、クセナキスを糾弾したブーレーズの現代への眼差し。彼が総体として描き出す「現代音楽」の像は彼の作品のごとく、一見つれなく冷たいが、抗いようもないほどに艶かしい。多分ブーレーズが唯一指揮したであろうクセナキス作品の「ジャロン」は勿論だが、渋味が強いと思われるバートウィッスルやファーニホウの作品がこんなにも愛おしく響いたことはかつてないのではないか。白眉はグリゼイの「モデュラシオン」とデュフールの「アンティフィシス」。グリゼイのドラッギーでむせ返るような官能は、音響そのものが既にアナーキーでしかない。

(現在はERATOブーレーズ録音全集か、バートウィッスル/クルターク/グリゼイのみが収録された分売CDしか流通していない模様)

 

2.マーラー-交響曲第9番シカゴ交響楽団、DG、1995年

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鈴木淳史が絶賛したことで一部のクラシック音楽ヲタクにはお馴染みの録音。まあとにかく1楽章第4主題提示部の無限に広がるかのように思われる透明な響きと自然な歌心を聴いてほしい。DG以降のブーレーズに関する否定的な言説はこのマーラー1枚で全て封殺出来る。鈴木をして「こんなに邪悪なマーラーを聴いたことがない」と言わしめた機能美が一周回ってグロテスクになる2,3楽章、決して押し付けがましくならない歌心がどこまでも透き通って行く最終楽章。ブーレーズの録音、という意味を超えてマーラー9番のオールタイムベスト、エヴァーグリーン、マスターピース

 

3.ストラヴィンスキー-バレエ音楽「プルチネルラ」全曲、交響詩「うぐいすの歌」…アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ERATO、2003年

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ハルサイや火の鳥といった音響爆裂地獄(実はそうでもないのだが)のストラヴィンスキーと違って平々凡々の指揮者が振るとろくなことにならないこのバレエ音楽ブーレーズの「プルチネルラ」はどこまでも暖かく、愉悦に満ちて響く。そしてその暖かさと愉悦は、どこか諦念と惜別の影をちらつかせながら、おとぎ話のようなファンタジアを紡いでゆく。有名な「序曲」のフレーズが鳴り響いた瞬間に思わず涙が出てしまう。この節回しが泣けるとかそういうことじゃなくて、もう鳴った瞬間にギュッと胸が締め付けられてしまう、そういう音楽をブーレーズはここで成し遂げている。理屈でなしに、そういうものなのだ。ちなみに「うぐいすの歌」はストラヴィンスキーの音楽史上最高度に気が狂った作品なので、こちらもブーレーズは作品の暴力性を失うことなくクールに処理していて、これはこれで面白い。

 

4.ヘンデル-水上の音楽、王宮の花火の音楽…ニューヨーク・フィルハーモニックSONY、1974年

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バーンスタインの後釜としてブーレーズNYPで行った偉業の数々は計り知れないが、個人的にはNYPとの最高の仕事はこのヘンデルを推したい。恐らく90~00年代のブーレーズがEICを振っても味わい深くなったと思うのだが、極限的に磨き上げられ、バロックの馥郁たる香りもロココ趣味的な淡く華やかな色彩感もどこかへ消し飛び、ただひたすらにCD2枚に渡ってヴィヴィッドな造形感覚とオーケストラ芸術の髄だけが乱舞するという、超絶パンクなヘンデル

 

5.ラヴェル-管弦楽曲集…ニューヨーク・フィルハーモニック/クリーヴランド管弦楽団SONY、1969~74年

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多分ブーレーズNYP時代の録音と言えば、これとストラヴィンスキーの「ハルサイ」「火の鳥」、あとドビュッシー管弦楽曲集が三大なんちゃらということになるのだろう。ここでのブーレーズラヴェルはとにかく激エロ、とんでもないスタイル抜群の美女のあられもないまぐわいを見せつけられて思わずこちらが目を背けてしまうような白昼堂々の豪奢な淫微さが横溢している。エログロなクリーヴランドとの「ダフニス」、果てしない明晰さが陶酔的でさえある「マ・メール・ロワ」もいいが、遅いテンポで聴き手の神経を20分弱かけて蝕んでいく「ラ・ヴァルス」が至高。これらのゴージャスでリュクスでエロスにまみれたラヴェルに比べればインバル/フランス国立管のラヴェルなんていうのは同じエロでもそのチープさにおいてコンビニのビニ本同然。

 

6.ワーグナー-舞台神聖祝典劇「パルジファル」…バイロイト祝祭管弦楽団、DG、1970年

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中学1年生の僕は「トリスタンとイゾルデ」「ローエングリン」の麻薬的な世界観と音楽にすっかりやられて日がな対訳本を読みふける善良なワグネリアンと化していた訳ですが、ブーレーズの「パルジファル」を初めて聴いてからというもの、もう気が狂わんばかりにハマってしまい、訳本なんぞ投げ出して1日に3回はフルで「パルジファル」(4時間弱)を聴きまくるという生活を冬休み中毎日していたら無事頭がおかしくなりました。ちなみに今でも「パルジファル」の筋は分かりません。ドラマトゥルギーとは一切無縁の音楽の説得力だけでザクザク進むワーグナーは多分今でもシャブ的な中毒性を持って新たなワグネリアンを生み続けることでしょう。ちなみに僕のメール受信時の着メロは今でもブーレーズパルジファル」の「聖餐の動機」です。

 

7.ベルリオーズ-幻想交響曲ロンドン交響楽団SONY、1970年

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性欲と暴力を剥ぎ取られたベルリオーズは、一体何をもって作品を駆動せしめるのか?という問いに対して、オーセンティシティの観点からの回答の一つの究極形は恐らくコリン・デイヴィスのそれだろう。ウォームな響きとがっしりと揺るぎない造形への意志は、ベルリオーズベートーヴェン的な交響曲作家として位置づけていく。そしてアナーキズムからの回答がブーレーズの「幻想」だ。解体を超えて脱構築的ですらある無表情で非情な響きは、ベルリオーズという作曲家を狂気の一点に向けて還元していく。4,5楽章のあまりにも「やり過ぎ」な行進とサバトの夜は、シャルル・ミュンシュのケツを蹴り上げるには充分過ぎるほどに過激で、残酷。

 

8.ベルク-歌劇「ヴォツェック」…パリ・オペラ座管弦楽団SONY、1966年

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正直化け物じみた録音が跳梁跋扈するこの曲においてブーレーズは少しだけ分が悪いのだが、「お前パリ・オペラを爆破しろとか言ってたじゃねーか!!」的なアンビヴァレンツも含めた面白さということで。とにかくセクシーなベルクのスコアを、隠れスケベであるブーレーズパリ・オペラ座管というとろけそうなオーケストラで出力したらどうなるかというと、これが意外なほどにクールなのだ。まあアバド/WPhやマデルナ/ハンブルク・フィルといった超絶セクシーなベルクを聴いた耳からすると、という面もあろうが、自らの中にあるエロティシズムを抑制したキリリと辛口な手触りの「ヴォツェック」は、ロマン派最後の末裔としてのベルクではなくシェーンベルクヴェーベルンといった新ウィーン楽派の紛れもない先駆としてのベルクの姿を鮮やかに浮かび上がらせる。しかし、行間のエロスが耐え切れずこぼれてしまう「間奏曲」は、身悶えするほどに淫猥、と言えるかもしれない。

 

9.ストラヴィンスキー-バレエ音楽春の祭典」…クリーヴランド管弦楽団SONY、1969年

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まあこれをブーレーズの録音を語る上で語らなければモグリでしょう。今ではもう古くなってしまったかもしれないが、リズムと音響の交錯としてここまでスキャンダラスに「ハルサイ」を描出したブーレーズの手腕。この録音がなければ、サロネンも、カンブルランも、ラトルも、誰も生まれることはなかったと思うと、ストラヴィンスキーという作曲家の巨大さとブーレーズの鋭さには背筋の寒くなる思いがする。

 

10.ラヴェル-ピアノ協奏曲、左手のためのピアノ協奏曲…ピエール・ロラン・エマール(pf)、クリーヴランド管弦楽団、DG、2010年

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グラモフォンは仕事にムラのあるレーベルで、上記のマーラーのような素晴らしい録音をドロップするかと思えば、このラヴェルやハーディング/WPhのマーラー10番のようにマイクに布団でもかぶせたかのような異常に音像が遠く立体感のない録音を平気でしたりする(多分エンジニアの問題)。ということで大分録音で損をしているきらいはあるが、「キレはないがメチャ精密」というDG以降のブーレーズの美点であり最大の欠点を、ラヴェルという彼が最も得意とするレパートリーの一つで聴けるCD。アントルモンとの同曲の演奏ではバチバチにピアノとシノギを削っていたブーレーズのオーケストラは、テン年代に至ってぬるりと脱力的なテクスチュアでピアノに寄り添うことになった。両手の方の2楽章なんか、レーグナー盤では「マ・メール・ロワ」もかくやと思わせる幻想庭園の世界が現れていたが、このブーレーズの無感動はスゴい。「幻想」で見せた、意地と情熱の無表情ではなくて、もう単に音楽の表情がユルフンなだけという感じさえする。そのくせコントロールはキチキチしているのでタチが悪い。その代わりと言ってはなんだが、エマールのピアノは大奮闘、ありったけの表現と色彩のパレットを駆使してラヴェルの音絵巻を展開してくれる。余白の「鏡」は豊穣で余裕たっぷりのエマールのピアニズムが堪能できる(ただし録音はダメ)。ブーレーズの奇演、ということで10位にランクイン。

 

ちなみに、ブーレーズの作品でベスト5(10を作れるほど聴いてない)を作るとすると、

1.ノタシオン(ピアノ版が最高。オーケストラは若干映画音楽のように甘ったるくなりすぎるきらいがあるが、強いて言えばヘンスラーのギーレン/SWR響がよい)

2.プリ・スロン・プリ(Arteのネットアーカイブで聴いたEICだったかコンセルトヘボウだったかとの演奏は、もうめちゃくちゃにセクシーというかエッチだった)

3.ピアノ・ソナタ第2番(現代音楽における最大のメルクマール)

4.二重の影の対話(SWRのネットラジオで流れてきてビビった。マルティン・フロストというクラリネット奏者を知ったのもこの曲だった)

5.構造Ⅰ/Ⅱ(DCPRGではない)

って感じです。もっと「プリ」とか「マルトー」とか「ルポン」とかは日本のプロオケも挑戦すればいいのにと思うのですが、まあやっぱり難易度と採算のコストパフォーマンスは最悪なのでしょう。ともあれ、好きでした、ブーレーズ。寂しい。