2014年上半期の諸々
3年前ぐらいから、年始〜7月までは早く、それ以降の時間の体感スピードが異常に遅く感じられるのだけど、今年も例によって何もしない間に2014年の半分が終わってしまった…。学校やその他のするべきことが今年に入って今までとは比較にならない程に多くなってしまったということもあるが。という訳で、上半期の諸々。
映画(新作に限らず、今年に入って観たもの)
2.デヴィッド・エルフィック「クリスタル・ボイジャー」-吉祥寺バウスシアター
3.ピーター・グリーナウェイ「ベイビー・オブ・マコン」-VHS
4.ジム・ジャームッシュ「コーヒー&シガレッツ」-レンタルDVD
新作が一本もないというあたりに自分の情けない財布とアンテナの鈍感さが如実に表れていて哀しくなる。ただまあ一本100円で観れるんだからTSUTAYAのレンタルは本当に偉いよなあと…。増村はこの他にも少しだけ観たのだけども、とりわけ「曽根崎心中」は梶芽衣子と宇崎竜童の熱暴走する悲劇的な情事があまりにもスピーディに、かつ鋭くカメラに捉えられているその鮮やかさに完全にヤラれてしまった。フィルムセンターの増村特集はこの夏のメインイベントですね。「ベイビー・オブ・マコン」ははっきり言って倫理的には最低の映画だし、その失われた倫理性は映画という虚構においてすら説得力を持たないのだけれども、グリーナウェイの「プロスペローの本」で映像美の代わりに崩壊したように思われた説話的構造が、メタ的視点とバロックの暴力性を得ることで「劇映画」の中で奇形的に甦った怪物のような作品だった。マイケル・ナイマンの仕事がBGMとしてのフレスコバルディやパーセルの果たしたそれよりも遥かに素晴らしいものだった事実に思いは募るものの。
アルバム(新譜に限らず、今年聴いたもの)
1.銀杏BOYZ「光のなかに立っていてね」
2.King Crimson「Islands」
3.大瀧詠一「EACH TIME」
4.山下達郎「OPUS~ALL TIME BEST 1975-2012~」
5.Mahavishnu Orchestra「The Birds of Fire」
銀杏BOYZの新譜はもうなんというか、アルバム発表直前の脱退ラッシュ劇とか前作から8年ぶりのリリースとか色んな物語が付きまとっていたけど、要は銀杏の音楽は「コレがお前にとってどうであるか」であって、その銀杏のスタンスが完全に個人的心象にハマってしまってこの半年は死ぬ程聴いた。「17歳」でグチャグチャで硬質な、しかし暖かくも感じられるノイズを峯田の絶叫が切り裂く冒頭から、物語の終末を引き延ばすかのように延々と続くシンセオルガンの和音で厳かに幕を閉じる「僕たちは世界を変えることができない」まで全ての要素が歪でありながらも優しく聴き手に染み渡ってくる。「ぽあだむ」の諦念と執着と夢と慟哭がファンキーなギターのカッティングで綯い交ぜにされる快楽は言葉にできない。大瀧詠一と山下達郎のポップネスはいつ聴いても色あせず、それどころか音楽が現代を超えて未来のようなどこかに向かっているかのような、普遍性への強靭な意志を感じる。
アイドルのシングル(新譜)
2.HKT48「君はどうして?」
3.lyrical school「brand new days」
4.GALETTe「じゃじゃ馬と呼ばないで」
5.Dorothy Little Happy「ストーリー」
「ラブラドール・レトリバー」「君はどうして?」は単なるオールディーズやフレンチポップの大衆化や模倣に留まらず、「アイドル」という枠組みにおいて出来る最良のポップスとは何なのかについて真摯に向き合った作品だと思う。特に、「君はどうして?」は重低音の効いたドラミングや重層的なコーラスにオールディーズへの憧憬をチラつかせながらも、あくまでアイドルJ-POPというジャンルの立場からそれらを再解釈しようという試みが心地よい。ヒップホップやブラックミュージックからの影響を隠すどころか研ぎ澄まされた抜群のセンスでアイデンティティとして確立しているリリスクやGALETTeの両曲はアイドル楽曲の中でも出色のものだが、その中でもドロシーの「ストーリー」はグループの持つ清潔感としなやかな運動性が絶妙にマッチしていて、まさにこれぞアイドルポップスを聴くことの悦びなのだと喝破したくなる。
クラシック音楽(新譜に限らない)
1.ギドン・クレーメルVn:J.S.バッハ-無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全集(1980年、DECCA-原盤PHILIPS)
2.ブルーノ・マデルナcond.BBC交響楽団:マーラー-交響曲第9番ニ長調(1971年Live、BBC Legends)
3.A.シュタイアーcemb.、J.V.インマゼールcond.、etc:C.P.E.バッハ-C.P.E.バッハ・エディション(1966~2002年、Deutsche Harmonia Mundi)
4.ミヒャエル・ギーレンcond.南西ドイツ放送交響楽団:マーラー-交響曲「大地の歌」(1992・2002年、Hänssler)
5.ヴォルフガング・サヴァリッシュcond.バイロイト祝祭管弦楽団:ワーグナー-歌劇「タンホイザー」(1962年Live、DECCA)
バッハ一族の脈々と受け継がれる音楽の血というか、バックボーンに厳然と存在している大河の流れのような歴史を思うとそれだけで胸が熱くなるが、クレーメルの弓の軋みや猛烈なパッセージの追い込みによる造形の崩れをモノともしないバッハへの裸の挑戦は上記のような歴史の重みを背負い込みながらもその姿勢自体がアナーキーなものとしてリスナーの魂を揺さぶる。特に、ソナタ3番フーガにおけるどう聴いてもイモっぽくてダサい主題が七転八倒し、苦悶しながらも8分間をかけやがて壮大なフーガとして、轟々たる一本の大きな流れとなる様は圧巻。C.P.Eは流石にJ.Sと比べるとギャラント様式の優雅な香りがするものの、シュタイアーやヘンゲルブロックといった現代の古楽界では抜群の運動性と感覚を持つ演奏家によってシェイプ・アップされたC.P.E.バッハをまとめて聴けるのは僥倖と言う他ない。マデルナのマーラーは新宿ユニオンで発掘。中低弦の扱いがこの時代の現代音楽畑の指揮者(ロスバウトやシェルヘンなど)特有のエロティックさと骨太さがあるが、4楽章は20分前後の爆速テンポで咽び泣き、頻出するゲネラルパウゼは戦前のような気分にさせられる。この音響的アプローチはやがてセルやブーレーズのマーラーへと繋がっていくのだなあと考えるとなかなか感慨深いものもあり。
いずれここで触れてなかった他の映画やアルバムにも触れたいですね。下半期はもう少しジャズとかにも挑戦したいところ。アイドルだけが新譜なところに自意識こじらせといて結局ただのヲタクかよという気分にもなるのだが…。