アルブレヒト指揮 ヒンデミット:歌劇「ヌシュ=ヌシ」

 

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ゲルト・アルブレヒト指揮 ベルリン放送交響楽団
パウルヒンデミット作曲 歌劇「ヌシュ=ヌシ」
ハラルド・シュタム(バス)
デヴィッド・クヌトン(テノールファルセット
ヴィルフリート・ガムリッヒ(テノール
マルテン・シューマッヒャー(シュプレッヒロール)
ヴェレナ・シュヴァイツァーソプラノ
セリナ・リンズレー(コロラトゥーラ・ソプラノ
ガブリエレ・シュレッケンバッハ(アルト) 等
1988年 WERGO

ヒンデミット作曲のシュールオペラ三部作の一角をなす作品。筋書きもオスカー・ココシュカが書いたということで話題性もふんだんの「殺人者、女達の望み」や宗教的な題材を扱っている「聖スザンナ」という割合真面目というか、それなりの後期ロマン派っぽい感じを漂わせている他の2つに比べて「無くしたキ○タマ(ヌシュ=ヌシ)を探す」というザ・退廃音楽なふざけ散らしたテーマで、彼の作品群の中でもひときわ異彩を放っていると言ってよい。登場人物の名前も「ムン・タ・ビャ」やら「トゥムトゥム」やら「オササ」やら、エキゾチシズムを勘違いしているとしか思えない突っ込みどころ満載のものだらけ。挙げ句使用される声の種類は見れば分かる通り四声に加えて、ファルセット、コロラトゥーラ、極めつけは「シュプレッヒロール」というよく分からない役職も存在しているので、聴く前から人を喰っているとしか思えない作品と言える。

という訳で、元々ドライでかつセンスのいい音楽を書くヒンデミットが悪ふざけのような台本を得れば一層キレキレのバカスカになっているのではないか、と期待するも、案外そうではなかったりする。音楽評論家鈴木淳史氏やその他のレビューを見る限りではヒンデミット一世一代のバカという風にも言われているが、蓋を開けてみれば、彼の音楽語法がこれでもかと詰め込まれた、豊饒でゴージャスな20世紀のロマン派音楽最後の煌めきである。
自分の所持しているWERGO盤はトラックが1個しかないのでどこそこを抜き出して言及することはできないのだが、全体的な印象としては意外な程にエレガントな音楽。勿論、シュプレッヒロールによるシュプレッヒシュテンメやファルセットの活用など、それなりに近代的な手法も見受けられるが、そのエレガントさは完全にマーラーの延長線上にあるもので、特にオペラの前半は時折ゾクリ、とするほどに危険な美しさをたたえた瞬間が随所に出現する。これが「ウェーバー主題による交響的変容」を書いた作曲家と同じであるとは、やや信じ難い。彼独自の書法が未熟であるというよりかは、むしろマーラーベルクなど、ドイツオーストリア圏で独自に発達した退廃の美学ヒンデミットなりに溶かし込み、音化したという言い方をするべきなのかも、という気がする。
彼独自のグルーヴ感も健在で、28分頃から開始する10分近いオーケストラは「画家マティス」3楽章の敷衍と捉えることもできるだろう。パーカッションの類いを律動の根底に据えず、低弦や金管楽器リズム隊に配置し徐々に音楽がクールに盛り上がって行く、「ヒンデミット節」をここでは味わうことができる。
アルブレヒトベルリン放響による演奏は極めて洗練されたものであり、あまり見つかっていないこの曲の紹介には相応しい、渾身の練り上げ。先述のマーラー的な部分は濃密なデカダンスを香らせ、ヒリつくようなタテの動きでは低弦を鋭く、と描き分けも秀逸。ただ、同じようなことがインバルなどにも言えるが、平均点は高いものの部分に強烈なフックが欲しいかも、というような消化不良感はない訳ではない。最後も今ひとつ盛り上げが足りず(これは曲の問題でもあるけど)、小綺麗にまとめてしまっているのはいかがなものかという感じ。知ってる「ヌシュ」の音源はこれだけなので、もっと暴発したヒンデミットを誰か録音してくれないだろうか。ネルソンスはアツく精緻にやってくれるだろうし、メルクルの負のテンションストップ高でブチ切れるのも良さそう。パーカッションの扱いに長けている人はこういう曲をやるとつまらなくなるので、ラトルとかナガノは録音の可能性はあるけど、パーカスに逃げられなければバランスの面白さに終始するだろう。大野和士オペラ・コンチェルタンテでやったヒンデミット三部作チクルスの再録がリヨンあたりで実現すれば万事解決って感じか。多分ペイ出来ないだろうけど。

今確認したら、これは歌劇ではなく、「演劇(Spiel)」ということらしい。あと、「Marionetten」とあるから、人形劇なのか?Burmanischeってなんでしょうね。なるだけト書きに忠実な映像ソフトの出現が待たれるところ。